知っていると知ったかぶっていると知らないは並立するか。

なーんか阿保臭いことやってんな、って感じですが今後介錯される時に解釈の助けとする為に。

いや、何てことはない事なんだが、AVなり何なりでそれに関する情報を蓄えた童貞処女は、その事について聞かれた時に知識の引き出し自体は存在するので話せない事はないが、生身の経験として自身に帰属する為に絶対的な信頼性を持つような、つまりそれに関する体験は実際には無い。この場合において、それについて話す事は(自身の体験がない事を前提にして喋る場合でも)、「知識としては確実に知っている状態なのであくまでそこを基準とする、させて」=知っている、なのか、「知識としては知っているが実際に体験した訳ではないんだからそれはまぁ頭でっかちというかなんというか」=知ったかぶり、とするのか、「知識も何もこんなん体験第一のものじゃねぇかヤってなきゃ知るもクソもねぇよ」=知らない、なのか。

別に童貞処女諸君の身の振り方について杞憂している訳ではなく、例えば、非実在少女の心情吐露において彼女自身がどのスタンスを取るか(この時点でそんなもん主観によるっていう何時ものパターンじゃねぇかバーカ、と既に結論めいた事になっているのは、何せ女の話であるので御愛嬌である)、というのは非常に興味深い話である。ぶっちゃけどれでも興奮するしその本人に合ってるように見えれば何でも良いんだけどね…。

まぁ例示というか出発点がそんなような事だったからそういう話になっているだけで、これ他の事でも色々当てはめれるんじゃねぇの?って言うだけ。やっぱり解決するつもりないだろお前。バレてしまってはしょうがない。やぁやぁ我こそはマージナルマン(レヴィンのアレではない)。少女の心のスペクトルを観測する者、七色の軌跡と奇跡のスペクタクルを追う者よ、はっはっは。